
認知症のご本人への意思確認と同意、事務が迷わない進め方を一緒に
契約の説明をしているあいだ、ご本人はずっとにこにこして、うなずいてくださっている。「よろしいですか」とたずねると「はい、はい」。けれど、隣の娘さんが小さく首を振って「たぶん、わかっていないと思います」とつぶやく。署名欄を前に、ペンを渡していいのか、娘さんに書いてもらえばいいのか、手が止まる。
その迷い、とても大事な迷いです。認知症があるかどうかで線を引くのではなく、「この方は、いま、この内容を、どこまで受け止められているか」を確かめようとしているからこそ止まるのです。今日は、その確かめ方を、事務の手元で回せる形に整理していきましょう。
結論:①認知症の診断=本人は同意できない、ではない。説明の内容と場面ごとに、ご本人が受け止められるかを確かめる → ②「伝える」「聞く」「残す」の3つに分けて進める(短く区切って伝える/ご本人の言葉で聞き返してもらう/そのやりとりを記録する) → ③ご本人が内容を受け止めるのが難しいと感じたら、事務だけで判断せず、ケアマネ・相談員・管理者と一緒に考える。ご家族の署名は「代筆」なのか「代理」なのかを分けて残す。この順で進めると、迷う場面がぐっと減ります。なお、厚生労働省の「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」(2018年)を土台にした一般的な整理です。個々の判断は、ご本人の状況・契約内容・法人の方針によって変わりますので、迷うところは管理者や法人、必要に応じて地域包括支援センターや専門職にご確認ください(本記事は2026年10月時点の内容です)。
なぜ、ここで手が止まりやすいのか
- 「認知症がある」と「同意できない」は同じではないのに、書類の上ではどちらかに決めたくなる
- ご本人のうなずきが、理解なのか、場をなごませる気づかいなのか、外からは見分けにくい
- ご家族の「本人はわかっていないので、私が書きます」に、そのまま乗っていいのか迷う
- 日によって、時間帯によって、受け止められる量が変わる。前回大丈夫だったから今回も、とは限らない
- 確認したことを、どこにどう残せばいいのかが決まっていない
どれも、担当者の確認が足りないから起きるのではありません。判断の「型」が事業所の中にまだ無いだけです。その型を、一緒に作っていきましょう。
まず押さえたい考え方:ご本人の意思が出発点
国の考え方の土台になっているのが、厚生労働省の「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」です。2024年に施行された認知症基本法でも、認知症の人の意思が尊重されることが基本理念として掲げられています。
ガイドラインの中で、事務の手元にいちばん関係するのは次の3点です。
| 考え方 | ざっくり言うと | 事務の場面に置きかえると |
|---|---|---|
| 意思決定能力はある・なしの二択ではない | 内容や場面によって、決められることと難しいことがある | 「契約は難しいが、通う曜日は自分で選べる」ということは十分ある |
| 伝え方しだいで、決められる範囲は広がる | 説明のしかた・環境・時間帯で、受け止められる量が変わる | 一度に全部説明しない。静かな部屋で、短く区切る |
| ひとりで判断しない | 本人をよく知る人たちがチームで支える | ケアマネ・相談員・ご家族と一緒に考える。事務だけで「できない」と決めない |
つまり、事務の役割は「この方が同意できるかを判定する人」ではありません。「この方が受け止めやすい形で伝え、その反応を丁寧に残す人」です。そう考えるだけで、肩の荷が少し下りませんか。
手順:「伝える」「聞く」「残す」の3つに分ける

その1:伝える(短く、区切って、目に見える形で)
- 場所と時間を選ぶ。にぎやかなフロアより、静かな相談室。ご本人が疲れにくい午前中など、調子のよい時間帯を、ご家族やケアマネに聞いて合わせます
- 一度に全部を説明しない。重要事項説明書をはじめから読み上げるのではなく、「どこに通うか」「何曜日か」「お金はいくらくらいか」「やめたいときはどうするか」のように、ご本人の暮らしに関わる要点を3〜4つに絞る
- ひとつ話したら、ひと息おく。「ここまで、いかがですか」と区切って、次へ進む
- 目に見える形にする。大きな字で要点だけ書いた紙、送迎車やお風呂の写真、カレンダーに曜日の丸印。言葉だけより、ずっと届きやすくなります
- ご本人に話しかける。ご家族が同席していても、視線と言葉はまずご本人へ。「娘さんに説明しておきますね」で終わらせない
重要事項説明書の項目そのものの整え方は重要事項説明書の記載項目、見直しのコツを一緒に整理する、伝わる説明の工夫は契約時の説明、ご本人と家族に伝わる工夫を一緒ににもまとめています。
その2:聞く(ご本人の言葉で返してもらう)
ここが一番のポイントです。「よろしいですか」「わかりましたか」は、はいと答えやすい問い方です。うなずきは、相手への気づかいから出ることもあります。
代わりに、こんなふうにたずねてみます。
- 「火曜日と金曜日、どちらがよろしいですか」(選んでもらう)
- 「お迎えの車は、何時ごろ来るんでしたっけ」(ご本人の言葉で言ってもらう)
- 「通ってみて、嫌だなと思ったら、どうしましょうか」(やめ方もわかっているかを確かめる)
- 「ほかに、心配なことはありますか」(ご本人の気持ちを聞く)
答えが少し違っていても、責めたり正したりする場面ではありません。「そうでしたね、もう一度お伝えしますね」と、もう一度伝え直せばいいだけです。伝え直しても受け止めにくそうな部分がどこかが見えてくれば、それが次の相談の材料になります。
また、契約の中身すべては難しくても、「ここに通いたい」「お風呂はここで入りたい」といった気持ちは、はっきり話してくださることがよくあります。その言葉は、ぜひそのまま残しておきましょう。
その3:残す(あとで誰が見ても分かるように)
確かめたことは、記録にしてはじめて事業所の財産になります。支援経過や相談記録の様式に、次の項目があれば足ります。
- 日時と場所、同席した人(ご家族・ケアマネなど)
- 説明した内容(要点だけでよい)と、使った資料
- ご本人の反応や言葉(できるだけご本人が話したとおりに)
- 受け止めにくそうだった部分と、その後どうしたか
- 署名した人と、その立場(ご本人/代筆/代理)
3は、「理解あり」のようなまとめ言葉より、「『火曜がいい、近所の◯◯さんも来てるから』と話される」のような具体的な言葉のほうが、あとから読んだ人にもずっと伝わります。記録の残し方そのものは記録の書き方、指導で伝わる残し方を一緒にが近いテーマです。
ご家族が署名するとき:「代筆」と「代理」を分けて考える
ここは、実際に手が止まりやすいところです。ご家族がペンを取る場面には、中身の違う2つのケースがあります。
| ケース | どういう状態か | 書類での残し方の例 |
|---|---|---|
| 代筆 | ご本人は内容を受け止めて「お願いします」と言えている。字を書くのが難しいだけ | ご本人の氏名欄をご家族が書き、代筆者として氏名・続柄を添える。記録に「ご本人の意思を確認のうえ代筆」と残す |
| 代理 | ご本人が内容を受け止めるのが難しく、ご家族が代わりに決めようとしている | ご家族だからといって、自動的に法的な代理権があるわけではない。その場で決めきらず、管理者・ケアマネと相談する |
代理のケースは、現場ではよくあることです。それ自体を「いけないこと」と責める必要はありません。ただ、ご家族が決めた形のまま、記録上は「本人同意」になっている状態は、ご本人にとってもご家族にとっても、あとで説明に困る形です。
- まずはケアマネや相談員と共有し、ご本人の意思をどう汲み取るかを一緒に考える
- ご本人の判断が難しい状態が続く場合は、成年後見制度の利用が話題にのぼることもあります。そのときは地域包括支援センターやケアマネへの相談から。後見人等がついている方の確認の順番は成年後見人とキーパーソン|誰に何を確認するかを一緒に整理にまとめています
- 契約書の様式に「署名代行者」「代筆者」の欄があるか、その欄の意味が事業所の中で決まっているかを、一度見ておきたいところです
なお、意思能力がない状態でした契約は無効とする規定が民法に置かれています(民法第3条の2)。だからこそ、「ご本人の意思をどう確かめ、誰が署名したか」を記録しておくこと自体が、ご本人を守る仕事になります。
個人情報の利用への同意も、考え方は同じです。誰から同意をいただくかの整理は介護の個人情報、同意と取り扱いの基本を一緒に整理するをどうぞ。
具体例:通所介護の新規契約で
80代の女性。アルツハイマー型認知症の診断があり、同居の長男さんと来所。
- 事前にケアマネへ電話し、「午前中のほうが調子がよい」「昔は和裁の先生だった」と聞いておく
- 当日は午前10時、相談室で。要点を4つ(曜日・送迎・お風呂・おおよその月額)だけ大きな字で書いた紙を用意
- 「火曜と金曜、どちらがよろしいですか」とたずねると、「火曜。金曜は孫が来るから」とご本人。この言葉をそのまま記録
- 月額の話では反応がうすく、長男さんへ視線が向く。お金の部分は長男さんに詳しく説明し、ご本人には「お支払いは息子さんと一緒に確認しますね」と伝えると、うなずかれる
- 署名は、ご本人が「自分で書く」と言われ、ゆっくり氏名を記入。長男さんには同席者として署名をいただく
- 相談記録に、日時・同席者・説明した4点・ご本人の言葉・お金の部分は長男さんと確認したことを残す
ご本人が決められたこと(曜日)と、ご家族と一緒に確認したこと(お金)が、記録の上でちゃんと分かれています。全部をご本人に、でも、全部をご家族に、でもない。それで大丈夫です。
影響:型があると、迷いが「相談」に変わる
この3つが事業所の中で共有されると、こんなことが変わってきます。
迷ったときに、ひとりで抱えなくなります。 「受け止めにくそうな部分がここ」と具体的に言えるので、ケアマネや管理者に相談しやすくなります。
運営指導で説明できます。 契約書の署名者について聞かれたとき、「ご本人に要点をこう説明し、ご本人の言葉はこうでした。署名はご本人で、ご家族が同席しています」と記録をもとに話せます。
ご家族との関係がやわらかくなります。 「ご本人に聞くのは時間のむだ」と感じていたご家族が、ご本人が曜日を自分で選ぶ場面を見て、表情が変わることがあります。
そして何より、ご本人が「自分のことを自分で決めた」と感じられること。それは、これから通う場所への安心にもつながっていきます。
明日やること(優先順位と代替)
- 契約書・重要事項説明書の署名欄を見て、「代筆者」「署名代行者」の欄があるか確認する(5分で終わります。欄がなければ、管理者に「どう扱っていますか」とたずねるメモを残すだけで十分です)
- 相談記録や支援経過の様式に、「ご本人の言葉」を書く欄があるか見る(なければ、次の契約から余白に書くだけでも始められます)
- 重要事項説明書の要点を、ご本人向けに3〜4項目だけ大きな字で書いた紙を1枚つくる(サービスごとに1枚あれば、毎回使い回せます)
- 「よろしいですか」を「どちらがいいですか」に言いかえる問いかけを、2〜3個メモしておく
- 代理のケースに気づいたときの相談先(管理者・ケアマネ・地域包括支援センター)を書き出しておく
全部を今日やらなくて大丈夫です。1だけでも、次に署名欄の前で手が止まったとき、どう動けばいいかの入口ができます。
確認チェックリスト(持ち歩き用・最小ライン)
- 認知症の診断だけで「本人は同意できない」と決めていない
- 説明は、静かな場所で、ご本人の調子がよい時間帯を選んでいる
- 要点を3〜4つに絞り、目に見える形(大きな字・写真)で伝えている
- 「よろしいですか」ではなく、選んでもらう・言ってもらう問い方をしている
- ご本人の言葉を、できるだけそのまま記録している
- 受け止めにくそうだった部分と、その後の対応を記録している
- 署名した人の立場(ご本人/代筆/代理)を分けて残している
- 代理のケースは、事務だけで決めずにケアマネ・管理者と共有している
- 契約書の様式に、代筆者・署名代行者の欄と、その意味の決まりがある
- 迷ったときの相談先が書き出されている
よければ、こちらも
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一度に完璧な説明をしなくて大丈夫です。短く伝える。ご本人の言葉で聞く。そのやりとりを残す。この3つだけで、署名欄の前の迷いは「誰かと相談できる迷い」に変わります。今日は、署名欄を一度見てみるところまでで十分です。

うなずきの奥にある気持ちを確かめようとして、ペンを渡す手が止まった。その一瞬のためらいは、慎重すぎるのではなく、ご本人をひとりの人として見ている証拠です。
制度と現場をつなぐ事務の仕事は、書類をそろえることだけではありません。「この方は、何を望んでいるのか」を、書類の上にちゃんと残すこと。その積み重ねがあるから、ご本人は自分の暮らしを、自分の言葉で選び続けられます。